
日舞の先生三味線奮闘記4(習い事のコツを知りましょう)
更新日:2021年5月20日
2020.9月:唄は苦手!声の出し方が難しい。和の発声とは?
小唄三味線は唄と三味線を別々に教わります。
(一緒に演奏するのには師範レベルになるそうです)
1曲は1~3分と短く、演奏会長唄と違って、歌詞が理解できます。
しかし!声が出ない!いわゆるどこから声を出してよいのかがわからないのです。
「どのように・どこから声を出すのですか?」と質問したいのですが、やはりできませんでした。
では、ネットで検索で!「小唄の歌い方の特徴」

日本人のための和の発声法
声を改善したいときに 声が出る部位("喉や声帯"を含めた"口周り")を鍛えてはいけません。
"鍛える"という字は「鉄などの金属を熱し、打って強くする」という意味です。
自分の"声が出る部位"にそんな仕打ちをしないでください。 そんなことをするといつか自分に跳ね返ってきます。
昔の日本人には体のある部分だけを鍛える(筋トレ含む)という発想はありませんでした。
まず「"喉"を鍛えてはいけない」ということをおさえてください。
· よくある声の悩み
日本人の多くの方は義務教育で"西洋式の発声"を学びます。
これが無自覚に身についています。
それにより以下のようなお悩みを持つ方がいらっしゃいます。
【自己表現のシーンで】 ・練習すればするほど喉をいためてまう。 ・自分ではもう少しうまく歌がうたえると思うのですが、何かしっくりしない。 ・歌声が小さい。声が出ない。 ・いざとなると緊張してうまく歌えない。 ・いくら練習しても、誰も振り向いてくれない。他者を感化できない。 ・スクールに通っているのに、あまり改善できない。 ・日本伝統の歌い方を知りたいが、教えてくれる人がいない。 【自己アピールのシーンで】 ・プレゼンの内容は悪くないのに、反応がイマイチ悪い。声のせいなのでしょうか。 ・人前になると、声がうわずってしまう。 ・自分が思っているより、私の声は他者に届いていない。 ・同じ内容をしゃべっても、Aさんのは声やしゃべり方が良い人は、他者の受けが良い
声の悩みの多くは、知らず知らずの内に、
「西洋式の発声をしているから」かもしれません。
私達は通常の生活をしていると義務教育や西洋音楽を通じて、西洋式の発声を学んでし います。 自分がどんな発声方法をしているか知らない方も多いでしょう。 様々な方の唄や発声の指導をしているうちにわかってきた事があります。
間違った発声法で努力しても、成果は上がりません。 日本人には日本人の発声法があります。
一般的(主に西洋式)な発声法と和の発声法の違いはまとめると以下です。 もちろん西洋式にも素晴らしい点があります。 日本人の本来の発声を知らず、
西洋式の発声が唯一だと考えているところに問題が生じます。
ボイストレーニングのように"喉"を鍛えてはいけません。おおよそ逆効果です。
和の発声法では日本古来の方法で"身体を整えます"。
これにより無理なく声の改善ができます。
それは"日本人に合った発声法"なのです。
まとめ
お伝えしたいことはまだまだありますが、いったんまとめます。
ボイストレーニングのように"喉"を鍛えるのではなく、和の発声法では人間の全身にアプローチします。
「いつの間にか変化している」という感想が多いです。
和の発声=日本古来の発声と定義したとき、日本の近代の一般的な発声と比較します。
「日本の近代発声」
・西洋発声がベース
・テクニック
・心と体は分離していることが前提 = 心身二元論(デカルト)
・「非ノイズ性」:自然には存在しない人工的な楽音で音楽を構築する
・「普遍性」 :誰が発声しても同じ音色になること五線譜でいつでもどこでも同じ響きを再現できること
・みんなと同じ声、社会的役割の声
音が生じるその場にいる人々の「生」の痕跡が排除される傾向。
つまり、音楽を受けとめる感覚や身体は、理性によって制御されるべきもの とする。
→ その究極として登場したのが「コンピュータの音楽」
「和の発声」
・日本古来の発声がベース
・口伝、型
・心と体は一つであることが前提 = 心身一如
・意図的に雑味(ノイズ)を入れる : 「音楽」と「モノ(自然)」が分離していない
・特殊性 : 自分の声を発すること もしくは 芸能に求められる声を発すること
・自分を通過する声、交信手段としての声
これをベースして、基本を身に付けることで、
各種芸能の特殊性を、師より「口伝」「型」を通じて習得する。
※日本舞踊も、師より「口伝」「型」を通じて習得する。が基本ですから!
となると「師を選ぶ」ことはとても大事だということです。
上記読みましたが、まだよくわからない!
当たり前です!お稽古もしていないのに、声が作られるはずはないのです。
でも、とても参考になりました!
西洋式で学んだ声を、今度は自然な自分の声を探す!ということです。