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日本礼儀作法の始まり(C-1)

執筆者の写真: 大和所作塾大和所作塾

柄杓

日本の礼儀作法の起源は古代の祭りの場に遡ることができます。

古代日本において、祭りは単なる宗教的な儀式だけでなく、社会的な交流の場でもありました。

多数の人々が集まるこのような場で、秩序と調和を保つために礼儀作法が発展していきました。




①祭りの場での礼儀作法

古代の祭りでは、年長者や地位の高い者を敬うことが重要視されました。

これは、社会の秩序を保ち、集団の調和を維持するためです。

例えば、神社の祭りの場では、神官や村の長老たちが中心となり、参加者は彼らに対して深い敬意を表しました。こうした行動が、今日の日本の礼儀作法の基本となっています。


祭りの場での作法は、神聖な儀式を順序正しく行うためのものでした。

例えば、祈りの際の手の合わせ方や頭の下げ方、神前での進み方や立ち位置など、細かな規則がありました。

これらは、神々への敬意を示すための重要な要素でした。




②広大な都宮と宮廷儀礼の誕生

奈良時代(710年 - 794年)や平安時代(794年 - 1185年)には、都が大きく発展し、宮廷儀礼が誕生しました。

奈良時代には、律令制度が整備され、朝廷の行事や儀式が厳格に定められました。

平安時代に入ると、貴族たちが優雅な生活を送り、宮廷文化が花開きました。この時期には、貴族たちが自分たちのステータスを示すための礼儀作法がさらに洗練されていきました。


例えば、宮廷での正装や、食事の際の作法、挨拶の仕方などが定められ、貴族たちはこれらを厳守しました。

また、書道や和歌、香道などの文化活動も礼儀作法の一部として発展し、上流階級の教養とされました。


宮廷儀礼の具体例

宮廷儀礼の一つに「踏歌」という儀式があります。

これは、正月に行われるもので、舞や歌を通じて豊作や平和を祈願する儀式です。

この儀式では、参加者は決められた動作や言葉を守りながら、厳かに行われます。

また、儀式の際には正装が求められ、衣装の着方や色合いにも細かな規定がありました。




③地方の神社と村の作法

一方で、地方の農村の神社でも独自の礼儀作法が重んじられました。

農村の神社では、収穫祭や村の守り神を祀る祭りが行われ、村人たちは集まり、共同で祈りや踊りを捧げました。

これらの祭りでは、村の長老や神官が中心となり、参加者は彼らに従い、決められた作法を守りました。


例えば、稲作の収穫を祝う「新嘗祭」では、新米を神前に供え、村人全員で感謝の祈りを捧げます。

この際、祈りの順序や神前への進み方、供え物の扱い方など、細かな作法がありました。

これらは、神々への敬意を示すとともに、村全体の結束を強める役割を果たしていました。




④結び

日本の礼儀作法の起源は、古代の祭りの場にありました。

年長者や地位の高い者を敬うことや、神々への敬意を示すための作法が、社会の秩序と調和を保つために発展してきました。

そして、奈良時代や平安時代には、都が発展し、宮廷儀礼が洗練されていきました。

地方の農村でも、独自の礼儀作法が重んじられ、村の結束を強める役割を果たしていました。


このように、日本の礼儀作法は、古代から現代に至るまで、社会の秩序を保ち、調和を重んじる文化として受け継がれてきたのです

現代の私たちも、この伝統を理解し、大切にしていくことが求められています。


 
 
 

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