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武士と庶民が共有する文化(D-1)


桜

①鎌倉幕府の支配下での流通と文化の広がり


鎌倉幕府の支配のもとで、日本は安定した時期を迎えました。

この安定により、流通が発展し、地方の村落が急速に豊かになっていきました。

その結果、これまで京都付近に本拠を置く上流武士の独占物であった公家文化が、中・下流の武士へ、さらには庶民へと広がり始めたのです。


平家物語や絵巻物は、この文化の広がりを象徴するものでした。

これらの作品は、単に上流階級の楽しみであるだけでなく、庶民にも広く受け入れられ、共有されるようになりました。




②武家文化の発展と禅文化の誕生


鎌倉時代の武士たちは、学問や教養を重んじ、和歌を詠み仏教を学ぶことを重視しました。

特に、栄西や道元によって広められた禅宗は、自己鍛錬を重んじる精神が武士たちの心に響き、多くの武士が禅宗に帰依しました。


これにより、武士たちは内面的な強さと冷静さを持つことができたのです。

このようにして、鎌倉時代の武家文化は、次第に公家文化と融合し、独自の発展を遂げていきました。

そして、この武家文化の発展が「禅文化」(室町文化)を生み出すことになったのです。




③豪華な北山文化と洗練された東山文化


室町幕府の成立とともに、公家文化と武家文化の融合が進みました。

特に、京都を核とする公家文化と、関東の武家文化が並存していた鎌倉時代の流れを引き継ぎ、室町幕府後、朝廷は幕府の支配下に置かれることとなりました。

この結果、公家文化を取り込んだ武家文化が誕生しました。


この融合の象徴が、金閣寺に代表される「豪華な北山文化」です。

北山文化は、足利義満の時代に花開き、金箔を貼った金閣寺はその象徴となりました。

華美で豪華な文化が武士たちの間で広がり、彼らの生活や儀礼に取り入れられました。


しかし、室町幕府の後退の中で、武家文化はさらに進化し、より洗練された「東山文化」が生み出されました。

東山文化は、足利義政の時代にピークを迎え、銀閣寺に代表されるような簡素で洗練された美意識が特徴です。

この時期に、茶道や能楽が発展し、「わび」「さび」「幽玄」の思想が形成されました。


わび・さび・幽玄の思想

わび・さび・幽玄の思想は、東山文化の中で生まれた独特の美意識です。

「わび」は質素な中にある心の豊かさを表し、

「さび」は時の経過によって生まれる静かな美しさを意味します。

「幽玄」は、表現し難い深遠な美を指します。

これらの思想は、茶道や庭園、建築などの文化に深く根付いていきました。




結び

鎌倉幕府から室町時代にかけて、日本の文化は大きな変革を遂げました。

安定した時期に流通が発展し、公家文化が武士や庶民にも広まりました。

武士たちは学問や教養を重んじ、禅宗の教えを取り入れることで、内面的な強さを養いました。

そして、室町時代には、北山文化と東山文化が生まれ、豪華さと洗練された美意識が融合しました。


わび・さび・幽玄の思想は、現代の日本文化にも深く影響を与えています。

このようにして、武士と庶民が共有する文化は、日本の歴史と文化の中で重要な役割を果たしてきました。


 
 
 

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