「さび」の美を表現する者:藤原俊成と西行の和歌(D-5)
- 大和所作塾
- 4月23日
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はじめに
日本の伝統美意識の一つに「さび」があります。
「さび」とは、金属が錆びるほどの年季を経たものに宿る閑寂な美を指します。
この美意識は、世俗の欲を捨て去った穏やかな境地を表し、達人や名人の手による作品や芸術には特に顕著に現れます。
今回は、「さび」の美を表現した和歌に焦点を当て、その中でも特に藤原俊成と西行に注目してみたいと思います。
①「さび」とは
年季を経た美
「さび」とは、金属が錆びるほどの時間を経たものに宿る美しさです。
それは、ただ古びているというだけではなく、時間の経過とともに生まれる深みや風情を含んでいます。
このような美は、世俗の欲望を捨て去った者が持つ穏やかな心の状態を反映しています。
閑寂な境地
「さび」は、世俗の欲を捨て去った穏やかな境地を表します。
年季の積み重ねられた達人や名人の手による作品や芸事には、欲がなく、その静かな美しさが私たちの心を寛がせてくれます。
これは、精神的な成熟や内面的な深みが必要とされる美意識です。
②「さび」の美を表現する者
藤原俊成と西行
平安時代から鎌倉時代にかけて、多くの知識人や詩人たちが「さび」の美を追求しました。その中でも、宮廷高官の藤原俊成と、西行は特に有名です。
藤原俊成は、和歌の大家であり、彼の和歌には「さび」の美が色濃く反映されています。
また、彼は西行の和歌を高く評価し、その境地に達することは自分にはできないとまで言っています。
西行の和歌
西行(1118-1190)は、平安時代末期の僧侶であり、歌人としても知られています。
彼は俗世を離れ、自然とともに生きる生活の中で、多くの和歌を詠みました。
彼の和歌には、自然の美しさや人生の無常が詠み込まれており、それが「さび」の美を表現しています。例えば、以下のような和歌があります。
心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ
この和歌は、自然の中での孤独や寂しさを詠んだものであり、「さび」の美意識が感じられます。
③「さび」の美の歴史的背景
平安時代の美意識
平安時代は、日本文化が大きく発展した時代でした。
この時代の貴族たちは、雅やかで華やかな生活を送りながらも、自然や季節の移ろいを愛でる心を持っていました。
このような美意識は、やがて「さび」の美へと発展していきました。
縄文時代からの自然観
「さび」の美意識は、さらに古代の縄文時代からの自然観に遡ることができます。
縄文時代の人々は、自然物を神々の恵みと感じ、それに感謝する心を持っていました。
この自然観は、神道の教えとも結びつき、平安時代以降の美意識にも影響を与えました。
④「さび」の美を称えた藤原俊成
藤原俊成の評価
藤原俊成は、和歌の中で「さび」の美を追求しました。
彼は自分の和歌を通じて、古びて味わいのある美を表現しようと努めました。
また、彼は西行の和歌を高く評価し、自分には到底真似できない優れた境地に達していると称賛しました。
『万葉集』の影響
『万葉集』の和歌にも「さび」の美が見られます。
この古代の和歌集には、自然の美しさや人生の儚さを詠んだ歌が多く含まれており、これらが平安時代の知識人たちに影響を与えました。
『万葉集』の和歌に見られる「神さぶる(かむ)」という形容詞は、古びた味わいを神々によってつくられたものと感じる心を表しています。
まとめ
「さび」の美意識は、日本の伝統文化に深く根付いています。
藤原俊成と西行の和歌は、その美意識を体現する代表的な例です。
彼らは、古びた味わいや自然の美しさを通じて、心の静けさや人生の無常を詠みました。
このような美意識は、現代に生きる私たちにとっても大切なものです。
「わび」「さび」「幽玄」の和の文化や芸術に触れることで、私たちは心の豊かさを感じることができるでしょう。
そして、その中にある穏やかな美しさは、日常生活の一場面でも素晴らしいものに思えてくることでしょう。
千利休の茶道や藤原俊成と西行の和歌を通じて、日本の美意識の奥深さを感じてみてはいかがでしょうか。
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