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日本伝統芸能「能」の始まり:観阿弥と世阿弥の物語(E-1)


花


はじめに

日本伝統芸能「能」は、室町時代前期に観阿弥と世阿弥という父子によって大成されました。

それまでは、さまざまな階層の人々に好まれて広く演じられていた「猿楽」がありました。

三代将軍足利義満に高く評価された観阿弥と世阿弥は、知識人を観客に迎え、質の高い脚本を作り出すことで猿楽を「能」へと昇華させました。

本記事では、観阿弥と世阿弥に焦点を当て、能の始まりと発展について解説します。




①観阿弥と世阿弥の生涯


観阿弥の生涯


観阿弥(1333年〜1384年)は、猿楽の名手として知られていました。

観阿弥は、従来の猿楽に新しい演技や舞を取り入れることで、芸能としての質を高めました。

彼の才能は三代将軍足利義満に認められ、将軍の庇護を受けることとなりました。

この庇護が観阿弥の活動を後押しし、彼の芸能はさらに発展していきました。


世阿弥の生涯

観阿弥の子、世阿弥(1363年~1443年)は、父の後を継ぎ、能をさらに高めました。

世阿弥は、父の教えを受けながらも独自の芸術観を持ち、能を文学的かつ哲学的な領域へと昇華させました。


彼は、多くの脚本を執筆し、能の演目の基盤を築きました。

また、彼の理論書『風姿花伝』は、能の芸術理論を体系化したものとして有名です。




②能の発展と普及


能の高まり

観阿弥と世阿弥の努力により、能は猿楽から一段高い芸術へと進化しました。

特に、世阿弥は知識人を観客に迎え、質の高い脚本を作成することで能を洗練させました。

彼らの能は「花」と称され、舞台の上で一瞬輝き消える能芸美として評価されました。

この「花」の美しさが、能の魅力をさらに高めました。


足利義満の庇護

三代将軍足利義満の庇護を受けたことは、観阿弥と世阿弥にとって大きな転機となりました。

義満は、観阿弥と世阿弥の才能を高く評価し、彼らを支援しました。

この庇護により、能は武士層に広まり、やがて武士層に欠かせない教養とされるようになりました。




③世阿弥の理論と作品


『風姿花伝』

世阿弥は『風姿花伝』という理論書を執筆し、能の芸術理論を体系化しました。

この書には、能の美学や演技の心得が詳細に記されています。

世阿弥は、「能とは花である」と述べ、舞台の上で輝き、消える能芸美を強調しました。

この「花」の概念は、能の美学の中心となっています。

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「消える能芸美」とは?

能の演技が舞台上で一瞬の美しさを放ち、観客の心に深い印象を残しつつも、儚く消えていく様を表現しています。

これは、瞬間的な美と無常感を強調するものであり、能の美学の中心となる概念です。


具体例

  1. 「羽衣」

    • 演目「羽衣」では、天女が舞台に登場し、美しい舞を披露します。 その舞は観客の心を奪い、天上の美しさを感じさせますが、天女は最後に空へと帰ってしまいます。 この瞬間の美しさと、その儚さが「消える能芸美」を象徴しています。

  2. 「葵上」

    • 演目「葵上」では、源氏物語の登場人物である六条御息所の霊が、嫉妬と悲しみを抱えたまま現れます。 彼女の感情が能面と舞を通じて表現され、その激しさが一瞬で観客に伝わります。しかし、御息所の霊もまた、最終的には鎮められ、消えていきます。 この感情の一瞬の激しさと、その消失が「消える能芸美」の一例です。

世阿弥の解釈

世阿弥は『風姿花伝』で、「花」とは観客の心を引きつける瞬間の美しさだと説きました。この美しさは永続するものではなく、舞台上で一瞬輝き、やがて消え去ります。 この儚さこそが能の美学であり、「無常」を表現しています。

能の美しさは、その一瞬の輝きと消失の中にあります。 演者の動きや表情が一瞬の美を放ち、それが消えることで、観客の心に深い印象を与えます。 これが「消える能芸美」の真髄であり、能の魅力の核心です。

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世阿弥の作品と「わび」「さび」

世阿弥の作品には、平安貴族が好んだ「もののあわれ」や「無常」といった感覚が多く取り入れられています。

これらの感覚は、「わび」「さび」に近いものであり、能の演目に深い情緒と哲学的な深みを与えています。 世阿弥は、能を通じて人間の本質や人生の無常を表現し、観客に深い感動を与えました。




④能の普及と影響

東山文化の全盛期

能は東山文化の全盛期に広く普及しました。 東山文化は、室町時代後期に発展した文化で、質素でありながら深い精神性を追求するものでした。 能は、この東山文化の中で重要な位置を占め、武士層や庶民にも広く受け入れられるようになりました。

武士層への影響

能は、やがて武士層に欠かせない教養とされました。

能の演目には、源義経や斉藤実盛など、歴史上の人物を題材にしたものが多く、武士たちはこれらの物語を通じて自らのアイデンティティを確認しました。

能は、武士たちにとって精神修養の一環ともなり、彼らの生活の一部として深く根付いていきました。




まとめ

観阿弥と世阿弥という父子は、猿楽を「能」へと高めることで日本の伝統芸能の基盤を築きました。

彼らの努力と三代将軍足利義満の庇護により、能は日本の文化に深く根付きました。

世阿弥の作品や理論書『風姿花伝』は、能の美学や哲学を体系化し、能をさらに高めました。

能は東山文化の全盛期に広く普及し、武士層や庶民に深い影響を与えました。

観阿弥と世阿弥の業績は、今もなお日本の伝統芸能としての能に生き続けています。


観阿弥と世阿弥の物語を通じて、能の始まりと発展について理解を深めることができました。

彼らの努力と才能により、能は日本の文化に欠かせない芸術となりました。 今後も、その美しさと深さを多くの人々に伝えていきたいと思います。


 
 
 

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