①力を尽くす場所は必ず輝く
仕事に「やる気にならない」も「つまらない」もない。
成功するのに「〇〇がないから」も「〇〇していられないから」もない。
「大地黄金」(だいちおうごん)という禅語
いま、自分が置かれた場所で一生懸命に力を尽くしたら
その場所は黄金のように輝いてくる。
という意味です。
”どんな仕事も、ささいな作業も・・・”
力が出せる場所じゃないとすねて、
激しく地団駄をふんでいたって何も始まらない。
置かれた状況や場所でしっかり足場を築いて
心を込めて仕事にとりくむ!
個性もテイストも、そうすることでクッキリと
あらわれてくるのではないでしょうか?
②ゆっくり動く
「忙しい」という字は「忄=心」と「亡」
心を亡くすということ。
あわただしく、忙しく動いているときは
心が忘れられない、何をするにも心が入っていない。
コーヒー1杯、企画書1枚作成しても心あらずでは
おいしくも、人を感動させることもできません。
すべてが粗末なものになります。
「行住坐臥」(ぎょうじゅうざが)
歩く、とどまる、坐る、寝る
すべての立ち居振る舞い、動き一つ一つが修行であると禅は言う。
「能」の動きを思い出してください。
心をのせた動きの”真骨頂”を表現しています。
③自分の足元を見つめなさい
「履き物を揃えるか、揃えないか」ということで
実は心がそのまま映し出されていることをご存知ですか?
足元を見つめるということは、その瞬間に自分が
やるべきことを見定め、正しく把握するということ。
履き物を脱いだ瞬間にやるべきことは
当然、揃えることではないでしょうか?
「急いでいるから、面倒だから、奥さんがきれいにするから」
と脱ぎっぱなしにするのは
「自分のやるべきことがわからないから行動できない」
ことにはなりません。
なかには、履き物にはズボラだが、他の大切なことはしっかりとやるという人がいるかもしれません。
しかし ”生きる” ということは
そう都合よくいかないのです。
人生は瞬間瞬間の積み重ね!
ゆがんだ取り組み、考え方、向き合い方をしたら
ゆがんだ人生が紡がれていくと禅では説いております。
どんなときでも、脱いだ履き物はきちんと揃える
「脚下照顧」です。
④見えないところほど手をかける
できるビジネスマンは常に靴が磨かれている
とよく言われます。
昔から「足元を見る」という言葉があります。
江戸商人は草履や下駄の手入れが行き届いていれば
「隅々まで心配りができている人物」
だから、お金を貸しても大丈夫
という判断基準が今に根付いているのではないでしょうか?
昔は足元は視線から届きにくく、見えにくい部分なのですが
実は人物判断の決め手になっていたのです。
また足元は履き物だけではありません。
だらしない足の置き方で立っていたり
貧乏ゆすりや、足を小刻みに動かしたり
足元がだらしない。
足元にも気配りができるあなたは
心の置き方も落ち着いて心豊かな人でしょう。
⑤ゆっくり歩くとまわりが見える
現代人は ”とにかく歩くのが速い”
足早に歩くと周囲が見えません。
ちょうど動画を倍速にしているようなもの。
一応目にははいるが感性にはいたらない。
ゆっくり歩くと周囲が見え
感性が働き始め、自然が感じられます。
自然を感じると生きている実感をヒシヒシと感じる。
すると生きることのよろこび、幸せが心の底から
湧き上がってきます。
自然が伝えてくれるものをあるがままに
受け入れる人は、心が整っている人です。
⑥丁寧にいただく
「いただきます。」は何をいただくのでしょうか?
肉・魚はもちろん、野菜や果物・・・
それは「命」をいただいています。
私たちはほかの命をいただいて生きている。
いえ、生かされているのです。
「命をいただく基本的な作法」は
感謝を込め、余計なことを考えず丁寧に一生懸命に
そして楽しんで食べる。
その心持ちでいたら、
箸運びも自然にゆっくりとしたものになります。
⑦精進料理の意味を毎日に活かす
禅の修行僧の食事を「精進料理」と言います。
「目鼻口のあるものはいただかない」
しかし野菜も果物も命あるものと考えているが
これらは根を残しているので再生して命が
つながれているということ。
修行中の食事はとても質素です。
3ヶ月は空腹で修行僧はみんな数キロ
いや、10キロ以上やせるそうです。
しかし、3つの効果が出るそうです。
①空腹で頭が冴える
②色白で透けるような肌になる
③心がおちつき集中力が高まる
みなさんも野菜料理をつくって、じっくりとかみしめ、心を整えましょう。
⑧ゆっくり会話する、じっくり話を聞く
現代の会話は ”会話が途切れない” ことに
注目がいきすぎていると思います。
沈黙に対する不安があるのでしょうか?
自分の喋りたいことを一方的にしゃべり
しゃべり終えたら、今度は相手がしゃべり出す。
その間自分は休けい又は次のしゃべることを
考えている。
これでは話が噛み合うはずがありませんね。
禅語「面授」
相手ときちんと向き合い、伝えたい想いを伝える。
相手の心を受けとる。
※言葉を思いつくまま連ねるのではなく
自分の想いを伝えるのに
どんな言葉がふさわしいか
それを選びながらゆっくり語る。
相手の心にひびいていれば絶妙な「間」ができ、
会話の密度を高める。
相手の聞く態度もさらに整うことでしょう。
⑨ときには立ち止まってもいい
いつも「先に、先に」「前に、前に」だと疲れませんか?
立ち止まり、振り返る時間も必要なのではないでしょうか?
「一日一止」という言葉があります。
「一」と「止」を組み合わせると「正」しい
という字になります。
つまり、生きていくうえで立ち止まることは正しいのだ。
と、この言葉は教えています。
また「七走一坐」があります。
走りっぱなしはものごとが見えなくなります。
七回走ったら静かに坐って、走り方は正しいのか?
ペース配分はこれでよいのか?
方向は間違っていないか、ということを
見直しなさいとうい禅語です。
⑩ときには走る
「三昧」という仏語をご存知ですか?
ゴルフ三昧、すしざんまい?読書三昧
「雑念を取り払って一心にひとつのことに集中・没頭すること」
現在、無心で何かに取り組むことが少ないのではないでしょうか?
無心とは何ものにもとらわれない自由な心
心の中の雑念がはなれ、
心が空っぽになっていく境地
私は踊りのお稽古三昧で無心になります。
11. 無心で坐る
マインドフルネス、瞑想など、今でも耳にいたします。
もとは「無心で坐る→坐禅」からきたものです。
やったことがある方はわかると思いますが
やたらいろいろな思いが浮かんできます。
「考えてはいけない」と思えば思うほど
とらわれていってしまいます。
よい方法は
「放っておけばよい」
静かな水面に小石を投げ込むと波紋ができます。
それを止めようと手を出すとまた別な波紋が生まれます。
何もせず放っておけば自然に消えます。
心も、水面のようなものではないでしょうか。
自然にまかせていればよいのではないでしょうか。
12. 寝る前30分の過ごし方
医療機器メーカー オムロンが手がける
「ねむりラボ」プロジェクト
被験者のほとんどが6時間中2時間以下の睡眠効率35%以下と、
”ぐっすり”眠っていないことがわかりました。
修行中の禅僧は「夜坐」
寝る前に坐禅をして心穏やかになってから眠りにつく。
自分にとっての夜坐を見つけましょう。
音楽を聞く、お風呂でリラックスする、
本をよむ、香をたく(アロマ)など。
ポイントはそれをすることで
「癒される」「気持ちがおちつく」ということですね。
【あわてないーゆったり生きるための所作ー】
あわてないーゆったり生きるための所作ーはいかがでしたか? 次は第3章【とらわれない〜あるがままに〜】へと続きます。
Comments